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二代目高尾太夫(塩原高尾)の話を聞く
2012年10月17日 08:46
 
塩原温泉、今朝も快晴です。
日中は暖かいのですが、
朝晩の冷え込みがきついです。
でも、この冷え込みが紅葉を美しくしていきます。

さて、先日、地元の郷土史家の方による、
二代目高尾太夫の話を聞いて来ました。

二代目高尾太夫とは、江戸時代初期の吉原花魁で、
江戸時代きっての美貌と才覚が、
伝説のように、後世に語り継がれ、
例えば歌舞伎の演目の中にも、その名が出てきます。

その二代目高尾太夫は、実は塩原の出身
江戸から塩原に湯治に来ていた、
江戸吉原の三浦屋の主人に気に入られて、養女となり、
明暦の大火で焼けた三浦屋の再建のために、
太夫として、その名をとどろかせました。

ところが、三代目仙台藩主による身請け話が持ち上がったとき、
兼ねてより恋仲だった相手への操を立てて、
隅田川に入水、22歳の生涯を閉じました。

辞世の句と伝えられているのが、
「寒風に もろくもくちる 紅葉かな」

塩原出身の高尾は、紅葉をその紋章としており、
遺品は、塩原の縁の人に届けられたと言います。

その縁の人の子孫で、
遺品を今でも大切に保管している方が
福島県いわき市にお住まいで、
今回、その遺品などのスライドも紹介されました。

文庫箱、数珠などと共に、目を引いたのは、
恋人に宛てたと見られる、自筆の遺書です。

その筆跡は流麗にして精緻
切々と、思いを書きつづっており、
行間から、彼女の思いや、人と成りが伝わってくるようです。
たかだか、20歳を少し過ぎたばかりで。
これだけの遺書を書く、高尾太夫の、
知性と教養の高さを、雄弁に物語るものです。

江戸の三浦屋との橋渡しをしたのが、
明賀屋の先祖と言われており、
明賀屋の敷地内に、江戸時代に立てられたという碑(高尾塚)も。
(当館より、徒歩2分)

物語やドラマのヒロインとして、
もっともっと、スポットライトが当たってもいい女性です。
浮世絵などにも、その姿が残されていますが、
実際にどのような女性だったのか、興味は尽きません。

地元の郷土史家の話を聞く地元の郷土史家、
君島榮七氏による講演。

 

 

 

 

 

高尾塚こちらが高尾塚。

 

 

 

 

 


高尾太夫の位牌子孫が保管している位牌。

 

 

 

 

 


遺品の数珠とひも遺品の文箱と数珠など。

 

 

 

 

 


遺品の自筆巻物と遺書遺品の巻物。

 

 

 

 




自筆の巻物

巻物の中身。



 

 


 



自筆遺書自筆の遺書。

 

 

 

 

 


形見の打ちかけ

塩原妙雲寺に保管されている、
形見の打ちかけなど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


モミジの文様

打ちかけには
刺繍で紅葉の文様が。