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栃木県立博物館『中世宇都宮氏』展
2017年10月13日 08:56
塩原温泉、今朝は雨。 今日から塩原の紅葉について書こうと思ったのですが、 雨でもあり、会期がもうあと2週間なので、こちらを先に紹介します。 先月に訪れて、そのままになっていました。 宇都宮にある県立博物館における 『中世宇都宮氏〜頼朝・尊氏・秀吉を支えた名族』展です。 栃木県内で大変反響が大きい企画展となっています。 宇都宮氏は平安時代末期、後三年の役の時に、 源頼義・義家親子のために宇都宮田気不動尊に加持祈祷を行った 石山寺(大谷寺とも言われる)座主、藤原宗円が、 その功績により、二荒山神社座主となったことが起源で、 実に22代、500年に渡って、宇都宮はもとより、 下野国を広く治めた武家でした。 実は私共、明賀屋の先祖は、 元々は千葉の三浦氏一門だったものが 三浦泰村の「宝治の乱」で敗れた時に、 5代宇都宮頼綱を頼って、真岡市に住んだと言われています。 その後、宇都宮氏と共に、足利尊氏のために働き、 弟の足利直義との薩埵(さった)峠の戦い(1351)に功績あったとされ、 塩原城主として1363年に塩原要害城に入り、 1380年には離れ室城を築城。 塩原八幡宮再建や、上塩原箒根神社建立などに功績を残しましたが、 1475年、離れ室城の戦いに敗れ、 塩原甘湯沢に移り住んだ後に、宿屋を営んだそうです。 宇都宮頼綱は、後に出家して、蓮生と名乗り、法然の弟子に。 藤原定家とも親交があり、 京都、鎌倉と並ぶ宇都宮歌壇の礎を築いた人です。 小倉百人一首の選定を定家に依頼したのも頼綱でした。 また、その弟、朝業(ともなり)は、 塩谷(矢板)の地に入り、塩谷朝業と名乗り、 やはり歌に優れ、源実朝にかわいがられたそうです。 現在の矢板市のゆるキャラ「ともなりくん」のモデルですね。 豊臣秀吉に改易されるまで、 22代に渡り、政権中枢と密接に関わってきた宇都宮氏なだけに、 そのゆかりの品には、国宝や重要文化財も多数あり、 大変見ごたえがある企画展となっています。 今まで私も漠然としか知らなかったご先祖様のこと、 とても勉強になりました。 『中世宇都宮氏』展は10月29日(日)まで。 栃木県立博物館にて。 歴史好きな方には本当にオススメ。 宇都宮餃子や大谷資料館などとセットでお出かけ下さい。 栃木県立博物館 http://www.muse.pref.tochigi.lg.jp/ |