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日光市民参加劇『戦場ヶ原神戦伝』を見てきました
2016年3月28日 08:53
塩原温泉、今朝は晴れ。 気持ちいい青空が広がっています。 栃木県内からも、桜の開花だよりが聞こえています。 今日の天気でも開花が進むかもしれません。 さて、昨日、初めて日光市今市文化会館へ。 日光市市政10周年記念 市民参加演劇『戦場ヶ原神戦伝』を見てきました。 友人が役者として出演。 まさかの準主役級の役でびっくりしました。 まあ、個人的に見に行ったものだし、 写真もないので(当然撮影禁止です)、 当初、ブログに取り上げるつもりはなかったのですが、 その内容がとても興味深かったので、紹介したいと思います。 その物語は日光戦場ヶ原にまつわる伝説の話でした。 戦場ヶ原は私も大好きで、何度もトレッキングしています。 赤沼から歩き、戦場ヶ原の向こうに男体山が見えるポイントに、 戦場ヶ原の言われを説明した案内板があります。 ご存知のとおり、戦場ヶ原には沢山の学校が 修学旅行や遠足にやってきて、 このポイントでは必ず足を止めて、 先生が子供達に説明する風景が見られます。 その戦場ヶ原の言われ。 私も案内板は見ていて、何となく知ってはいました。 お芝居はその言われを元に、 様々な脚色と演出をしたもので、 帰ってから、その伝説をきちんと調べてみました。 その昔、中禅寺湖をめぐって、 赤城山と男体山の神が争った。 赤城山は百足に、男体山は竜蛇に姿を変えて。 なかなか勝負がつかず、 男体山の神は鹿島の神に助けを求めたが、 直接助けてはもらえなかったものの、 男体山の神の子孫とも言われる、 奥州の猿丸という弓の名手を探すように助言される。 男体山は白い鹿の姿で猿丸の前に現れ、 日光まで連れてくることに成功し、 赤城山の神を負かした折には、 男体山にて狩りをすることを安堵することで、 加勢してもらうこととなった。 再び、赤城山の神と男体山の神との闘いが始まる。 死闘の末、最後には猿丸の弓が百足の目を射抜き、 赤城山の神は目から血を流して帰っていく・・・ という言い伝え。 戦いとなった場所が、そのまま「戦場ヶ原」。 赤城山の神が流した地が「赤沼」となり、 勝負がついた場所が「菖蒲が浜」。 戦いに勝って、喜び歌を歌って舞ったのが「歌が浜」。 そんな神々が存在した昔の話の地名が そのまま残っていることが、すごいなあと思いました。 またお正月に中宮祠二荒山神社で 湖に向かって矢を射る神事がありますが、 これは赤城山に向かって矢を放っているのだとか。 へえ〜と思うことばかりで、 今さらながら、日光のすばらしさを認識しました。 戦場ヶ原。 四季折々、本当に素敵な場所ですが、 こんな伝説を知っていると、さらに魅力が増しますね。 お芝居の中では赤城から遠足に来た小学生が 神々の戦いの一部始終を目にして、 最後には大切な役目を果たすのですが、 日光の子供達を意識した演出だったと思います。 子供達が郷土を知り、郷土に誇りを持つ・・・ それもまた、将来を担う子供達の、大切な役目ですね。 那須塩原市では、 那須野が原の開拓の歴史をお芝居にした『那須野の大地』が 毎年、やはり市民が参加して公演をしています。 日光市の、この『戦場ヶ原神戦伝』も、 今回だけでなく、毎年見られるようになると良いですね。 全ての関係者の方と、 誘ってくれた友人に感謝します。 |